HIGH STYLE TAKANAWA ハイスタイル高輪

未来を俯瞰し、いまを語る。緑多き都心の楽園・高輪
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主菓子は「お茶会」という総合芸術の一部を成す大事な構成要素。非の打ちどころなく完成されていなくてはなりません。森 由幸さん
高輪の地で主菓子づくりをはじめて30余年。試行錯誤の末、いまや、多くの茶人から絶大な信頼を得る玉川屋惣八。知る人ぞ知る和菓子の名店です。「あまりPRのようなことはしたくはないのですが…」とおっしゃるご主人に貴重なお時間を頂戴し、お話をうかがうことができました。
日本最果ての島で、店を継ぐ決心を
もともとは父がここで餅菓子の店を営んでいたんです。私が子どもの頃の高輪は、大きなお屋敷がまだまだたくさんあって、よくそうしたお屋敷にお届けものの手伝いをさせられたものです。小さな餅菓子屋でしたがそれなりに繁盛していたように記憶しています。
とはいえ、私は家業を継ぐ気がまったくなく、大学へ行って資格でも取って父親とは違う道で生きていこうと考えていました。ところが世の中はそれほど甘いものではなく、夢は破れて大学卒業後にふらりと旅に出てしまったのです。
旅先ではアルバイトをしながら、あまり将来を深刻に考えることもなく放浪生活を送っていました。ところが、北海道の礼文島のユースホステルでアルバイトをしていた頃、そこのご主人に人生訓や親の恩といったことを淡々と教えられました。そこで心を入れ替え東京に戻り、店を継ぐ決心をした次第です。
ただ私としては「父親と同じことをやっていても面白みがない」と常々思っていたんです。ちょうどそんな頃、お茶の先生が店にいらして「お宅でお茶会のお菓子をつくってみたら?」とおっしゃったんです。それがこの店で主菓子(おもがし)をつくるようになったきっかけです。
それまでは、父親がつくったレシピを忠実に再現することが求められていましたが、主菓子をつくるとなれば工夫が必要です。したがって、そこからの菓子づくりの師匠は父親ではなくお茶の先生です。こうしなさい、ああしなさいと言われながら試行錯誤を続け、振り返ればもう30年以上の月日が流れています。
お茶会は総合芸術、その一翼を担う菓子づくり
一般的な餅菓子とお茶会で召し上がる主菓子の違いは、一切手を抜けないところにあります。こんなことを言うと餅菓子の職人さんに叱られてしまいそうですが、一般的な餅菓子はひと時に大量につくらなければならないため、手を抜くというわけではなく、必然的にどこか気が抜けたところが出てしまうものなのです。ところが主菓子の場合は「お茶会」という、いわば総合芸術の一部を成す大事な構成要素となるので、非の打ちどころなく完成されていなくてはなりません。
とくに大きなお茶会になると、掛け軸やお道具はさほど多くのバリエーションがあるわけではありません。そうした中で「何かいつもとは違う変化をつけたい」という時に、主菓子がクローズアップされてくるのです。いわば、主菓子を選ぶ目もお茶会の主人には問われるのです。
どれだけ素晴らしい点前(たてまえ)でも、ご用意された主菓子の味や見た目が劣っていては、お茶会自体にケチをつけることになってしまいます。もっと直接的に言えば、お茶会の主人が恥をかくことにもなり兼ねない。だからこそ、先生方も厳しく菓子をご覧になりますし、多くのご要望を出されます。言い換えればお茶の先生方の厳しいお言葉から、主菓子職人としての「商売とはなんたるものか」を教えていただいたと言っても過言ではありません。とはいえ、私などはまだまだ道半ばといったところです。
これからの高輪に相応しいアイディアを
高輪で餅菓子の店を構えた父親から代を引き継ぎ、良いご縁もあってお茶会の主菓子のフィールドを自分なりに切り開いてきたわけですが、少し前までは「自分の代でこの店も終わりだろう」と考えていました。と申しますのも、父親の代は高輪にお屋敷を構える財閥や名士の方々に愛されて店が成り立っていました。ところが私の代になると、お屋敷が徐々に減っていき、それまで通りのやり方では商売が成り立たなくなってきた。そんな時に運よくお茶の世界に導いてくださる方との出会いがあったわけです。もとより、高輪はお寺さんが多い街ですので、お茶の先生方も大勢訪れます。そんなところも今の主菓子への取り組みには幸いしたと思っています。いわば、私の代までは、高輪の方々に愛されて、高輪の文化のもとで店が育ってきたということができるでしょう。
ところがこれからは、高輪の昔ながらの歴史や文化に、あまり過大な期待を寄せていては危険です。高輪にも新しいライフスタイルが根付きつつあるのは事実ですし、私どもの商売に限らず個人商店というのは、やはり地元の方々のご贔屓があってこそ成り立つものです。少々、主菓子で名が売れたといって胡坐をかけるほど甘いものではありません。この街で商売を続けるならば、これからの高輪に相応しい「何か」を、独自のアイディアで生み出していかなくてはならない。これからの方が大きな試練が待っているはずです。
『玉川屋 惣八』の看板を息子に託すその思い
ところが昨年、次男が「店を継ぎたい」と言いだしたのです。まさか子どもからそうした言葉が出てくるとは夢にも思っていませんでした。私も同じでしたが、1年を通してほとんど休みなく働いていた父親の姿を小さな頃から間近に見ていましたので、商売を継ごうなどとは思いませんでした。ですので、自分の息子に対しても同じ気持ちを持っていました。
嬉しいかと聞かれれば率直に「嬉しい」と答えることができますが、はたしてどこまで店の看板を受け継ぐ覚悟ができているかはまだまだ様子見の時間が必要です。今の若い人はせっかく会社に就職しても、3人に1人くらいは辞めてしまうと聞きます。きっとそれぞれに人には分からない事情があるのでしょうが、1つには、新しい環境に馴染めないということが挙げられるのではないかと思います。うちの場合は私が今の商売の土台をつくり、その過程を息子も垣間見ているだけに、まったく新しい環境に飛び込むのとは若干事情が違うようにも思います。
いずれにしてもこれからは、自分なりのアイディアで勝負していかなくてはならない時代になっていくと思います。それは私どもの店ばかりでなく、古くから高輪で商売を営む方々すべてに言えることではないでしょうか。この先将来は、新しい知恵と、新しい時代の波に適応できる技術をもって、息子ならではの「玉川屋惣八」を築いていってくれたら嬉しいと思っています。
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玉川屋 惣八
〒108-0074 東京都港区高輪1-26-15
TEL 03-3441-7307
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