HIGH STYLE TAKANAWA ハイスタイル高輪

未来を俯瞰し、いまを語る。緑多き都心の楽園・高輪
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古きを尊び、新しきものにも門戸をひらく。高輪の良さは、この柔軟性ではないでしょうか。小泉陽一さん
「不易流行」と言う言葉があるように、私は街の変化に否定的ではありません。残すべきものはきちんと残し、住民のより良い暮らしと街の成長につながるならば、多少の変化は受け入れていったほうがいいと思う。とおっしゃる小泉陽一さん。泉岳寺周辺の車町西町会の会長の肩書きを持つ重鎮のおひとりです。
明治のころよりこの地でずっと
泉岳寺がこの高輪の地に移ってきたのは、およそ400年ほど前のことです。その後、元禄14年に俗にいう忠臣蔵の事件がおき、泉岳寺に赤穂浪士四十七士のお墓ができて、多くの人がここにお参りにくるようになりました。
かつての泉岳寺は曹洞宗江戸三か寺として、たいへん格のあるお寺でした。七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶200名近くが参学する禅寺としても名を馳せ、檀家さんも大名家の方々がほとんどで一般の方は入れないお寺でした。ところが明治になって廃藩置県が敷かれるようになり、大名制度がなくなったことで檀家さんの数が減り、ようやく一般の人々にも門戸が開かれるようになったのです。
私どもがこの境内で商売を営むようになったのもちょうどその頃のことです。江戸時代までは一般の人は公の時にしかお参りすることができませんでしたが、明治になって普通の人もお参りできるようになったたことでこの境内に六軒長屋が立ち並び、お茶屋や土産屋が商いをはじめます。そのうちの一軒が私の租祖父の店で、私はその四代目として、泉岳寺と高輪の街の移り変わりをずっと見守ってきました。
お屋敷跡地にマンションが建った
私が子どもの頃の高輪は、まさしくお屋敷町でした。ここは、お寺と学校とお屋敷の町だったのです。それが1970年代前半以降は数多くのお屋敷が売りに出され、跡地にはマンションが建ち並ぶようになりました。なにしろ大名の住むようなお屋敷ですので敷地も広く、モダンなマンションが次から次へと建設され、高輪は「町から街へ」と変わっていったのです。
その頃にマンションに移られていらした方々も、今では私と同じように年齢を重ねておりますし、いまだに古いお付き合いをしている方も少なくありません。その一方で最近では、若い方たちの姿も増えたように思います。毎年、町内会が主催してラジオ体操をやっており毎朝100人ほどが集まりますが、ここ1、2年は小さなお子さんの参加が多く、若い方がどんどん増えてひと頃より活気づいた印象もあります。街の成長を考えるなら、これはとてもいい傾向ではないでしょうか。
ただ、これから新しい駅ができたとしても、かつてのお屋敷は既に残っておりませんし、これから大きなマンションを建てることはできないでしょう。したがって、新旧が上手い具合に調和した今の高輪の景観はこれからも変わらないだろうと思います。もちろん新駅周辺は大きく様変わりして最先端のエリアになるでしょうが、わずか第一京浜を1本挟んだ高輪側は、相変わらず緑が多く、穏やかな生活を営むに相応しい歴史豊かな街であり続けるに違いありません。また、そうあって欲しいとも思います。
豊かな緑と子どもたちが高輪の財産
新駅の誕生によって、仮に、高輪にも新しい風が流れ込んできたとしても、これからも街の緑だけは残していって欲しいと思います。それは高輪の大きな財産ですし価値の1つでもありますので。都心の中では非常に珍しい場所ではないでしょか。泉岳寺にお参りにいらっしゃる方も、道路から中門を入った途端に景色が一変することに驚かれますます。何にしても長らくこの高輪の街に暮らして思うことは、この街の一番の自慢は緑です。木々が多くて、春には鶯が鳴く。都会の真ん中でそうした環境を享受できる場所は、そうそう多くはないでしょう。高輪から白金にかけては散歩するには都内でも屈指のロケーションではないかと自負しています。
また子育てをするにもたいへん良い街です。緑豊かで安全な公園も多くありますし、自分たちが暮らす街の歴史を学ぶこともできます。高輪台小学校では6年生になると忠臣蔵を勉強して、泉岳寺に参拝にいらっしゃる方に説明をするという授業もやっています。やはり、これだけの歴史がある街ですので、街ぐるみで歴史を語り継ぎ、守っていこうという教育も根付いているのです。そんな可愛らしい歴史の語り部たちもまた、高輪の財産。私たちのような古くからの住人は、そうしたことを誇りにすら思っています。
新駅誕生は高輪の第二期変革期
私どもの店は、もともとは太鼓を中心に商いをしていました。大石内蔵助が討ち入りの時に太鼓をたたいて討ち入ったという山鹿流の兵法にある陣太鼓です。現在は太鼓だけでなく、忠臣蔵に関連したさまざまなグッズを置いています。
お客さまの半分は観光ガイドを持った外国人の方で、皆、商品を手にとって興味津々といったところです。大変ありがたくはありますが、逆に言うと今の日本人で忠臣蔵を知っている世代がいかに少ないかということでもあり、少しさみしい気落ちもあります。ちょっと前までは暮れのテレビ番組といえば忠臣蔵が定番でしたが、ここ最近は各局ともすっかり忠臣蔵を扱ってくれませんね。テレビがもうちょっと注目してくれたら商売にも勢いがつくと思うのですが(笑)。
まぁ私どものことはともかくとして、先ほど申し上げた通り、1970年代の前半から始まったマンションブームでこの高輪の街は大きく様変わりしました。それを第一の変革期とするならば、やはり新駅の誕生は、高輪第二の変革期となるのかも知れません。きっと新しい住民の方々も大勢住まわれることになるでしょうし、それに伴ってたくさんのお子さんが高輪の街や、泉岳寺の境内をかけまわることになることと思います。いろんな意見があると思いますが、私はとても楽しみです。なぜなら、高齢者と働き盛りの方々とお子さんたちがバランスよく暮らす街というのは一番良い街だからです。
若い方々ばかりの新興都市では息苦しいし、逆に、お年寄りばかりの街というのでは未来に対する希望ようなものが感じられません。三世代、四世代の方々が共存し合えることが良い街の条件ですし、誰もが健やかに暮らせる街であるはずです。これからの高輪はそうした街に育っていって欲しいと思っています。
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泉岳寺境内みやげ商 小泉義士堂
〒108-0074東京都港区高輪2-1-30
TEL 03-3441-6989  FAX 03-3441-5496
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